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日本人探访凌统墓
作者:未知  文章来源:凌氏QQ群  点击数3946  更新时间:2010-12-1 20:27:38  文章录入:admin  责任编辑:admin

【ちょこっと解説】
 
【探訪後記】
  久々の遺址捜索。中国のサイトで調べていると、凌氏の末裔が凌統墓を訪れた記事とともに、写真が載せられていた。こういう情報なら、存在する確率が高い。意気揚々と青陽鎮へ向かう。悟空村は地図を見ると西の方にあるようだ。てくてくと歩いて、村へ到着。村人に「凌統墓はどこ」と聞いてみると、わからないらしい。「ほら二本の石柱が残っているでしょう」と言うと、村人は「ああ、凌統墓か、あっちだ。遠くない」と教えてくれた。その後も何人かに聞きながら進む。ほとんどの人が凌統墓のことを知っている。こんなことも珍しい。さて、悟空寺が見えてきて、悟空橋村に着いた。凌統墓は村の西側、新しく敷設された道路の傍らにあった。確かに石柱二本しか残っていない。でも道路工事で撤去されずに残されているのには一安心。今後は文物碑などを立てて欲しいものだ。

2008-5-7

请懂日文的宗亲留言斧正翻译。

2008年5月7日凌统墓探访后记

  经过漫长探索的遗迹。在中国的凌氏宗亲网上有凌氏后裔探访凌统墓的记载,并且有照片刊登出来。从这样的信息来看,准确率是比较高的。我们意气扬扬、充满精神地向青阳镇出发了。查阅地图的话悟空村好象在西边。我们加快脚步到了悟空村。我向村里人打听,”凌统墓在哪里呢?“ 村里人好象不明白。“原来有两根石柱残留在那里的。”我说道。村人说:“哎呀,凌统墓啊,在那,离这不远。”此后一边也问几个人一边前进。大部分的人知道凌统坟的事。这样的事也新奇。不一会,看到了悟空庙,到达了悟空桥村。凌统墓在村西侧,新被敷设了的道路旁边相配。确实只有石柱二个残留。凌统墓在道路工程中没有被撤去,被留下了,总算放心了。今后希望立起文物石碑。(现已经立了石碑)

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